今日は新潟へちょっとお出かけ
暑くも寒くもないお出かけ日和な一日でしたね。
北日本はちょっとひんやり感ありましたがね(笑)
旧伊藤家邸宅が博物館として有形文化財として多くの方々に愛されています。
江戸中期この地で農より身を興し、代を重ねて豪農の道を歩み、越後随一の大地主となったのが伊藤家です。戦後の農地改革により広大な土地は伊藤家の所有から離れますが、建物・庭・美術品を後世に残すため伊藤家は自らの財産を寄付し、財団法人北方文化博物館を創設します。
現代では「心と癒しの場としての博物館」を目指し、野外音楽堂やレストラン、宿泊施設などを開き、今の時代に求められる存在へと進化させています。
この日は多くの観光客で結構混んでました
お出かけにはもってこいの日和ですからね
新緑の緑が眩しい園内は庭園散策には最高でした。
写真ばかりの記事になってしまいますが、暇つぶしになればなぁと思います。
団体さんや結婚式の方々もいたせいか入口付近はちょっと騒がしい感じでした。
正門付近のお庭もとても綺麗でした
ここから主屋の中へ入ります。中では展示品や庭を見学できます。
ここは茶の間です。
三間続きの茶の間は当時、当主が来客を迎えた部屋です。
台所・囲炉裏 周辺です。
昔はこの大皿に刺身を盛ったりしたそうです・・・
当時のお金持ちはスケールが違いますね
2階から付近を撮影。
このあたりでは一番大きな建物だったのでしょうね
大広間座敷へ向かいます。
大広間 座敷
美しい庭園に面した座敷は冠婚葬祭など、特別な行事に年に数回使われました。
大玄関は柱、井戸、式台から戸に至るまですべて欅造り。
特に式台と戸は一枚板を使用、雨戸26枚が収まる戸袋や、座敷を囲む廊下には柱が一本もない釣欄間工法など、贅を尽くした造りにびっくり
床の間を挟んで7つの部屋があり、畳の数は100枚にも及ぶそうです!!
庭園です
「この庭を以て千人の茶人をもてなす」という、七代当主の構想の下に作られた池泉回遊式庭園です。作庭を託されたのは柏崎市出身の庭匠・田中泰阿弥という、銀閣寺の二つの清泉の石組みを見事に発掘・復元したことで天才と呼ばれた人物で、各間からの視線が巧みに計算されています。築庭には5年をかけ、昭和33年に完成。「ここの庭つくるためとてわがいのち いきながらふるものにぞあるらし」と泰阿弥自身が詠んだ石碑が築山に建っています。その石組みや四季を彩る植栽は、自身の最高傑作と泰阿弥が誇った美しさ。これからも末長く後世に伝えてられていきます。
田中泰阿弥は造園関係の新聞や庭の雑誌でも特集される有名な庭師です。造園業の方なら耳にしたことがあると思います。
僕らが主屋を出るころには多くの方々が庭を楽しんでいました。
外に出ても敷地内には色々と見どころがあります。
八代当主が敷地中央に移植し、代々育ててきた藤棚。今では博物館の代名詞でもあり、樹齢150年・80畳の大藤棚の開花が始まるのは5月初旬の頃です。花を開きながら房を下へと伸ばし、長い物で1m近くになります。朝は清々しく、夜のライトアップ時は妖艶な表情を湛えます。開花時期には多くの方々を楽しませてくれてます。
花が終わっても夏にはとっておきの清涼地ですね!!
近くにあった自販機。
新潟県民には馴染みのものなのでしょう。
こういった地方愛を感じるものっていいですよね
移築古民家
約400年前・江戸時代初期の完成された形で保存されている貴重な文化財です。
常盤荘(旧宅はなれ座敷)
明治20年頃まで伊藤家が暮らしていた「旧主屋」に連結する「はなれ座敷」で、一時は番頭の住居だったこともあったそうです。伊藤邸の起源であり現在も茶会や式典等で使用されています。こんな平屋の広い家に憧れてしまいますね~(笑)
「食休み みそ蔵」
かつて十数樽の大きな味噌桶が並んでいた土間は今、別棟を併せ約240人様収容の大食堂「みそ蔵」としてしつらえられています。博物館に入館されたお客様へ越後のもてなし膳をご用意いたします。ただし予約が必要なようです。
ほかにもお土産屋さんやお蕎麦屋さん、地酒コーナーなど観光には十分なくらい他の施設も充実しています。広い敷地内ですから何でもありそうな感じです。
ちなみに広大な敷地は8800坪(29100㎡)あるそうです。我が家の約4倍さすがは豪農といったところですね(笑)
このあとはゆっくりと帰路に着きました。
他にも新潟には庭園が楽しめる邸宅跡がたくさんあるそうです。
機会があれば兄Kiyo兵衛と庭勉強にグルグル巡ってみたいなぁ~と思います
新潟は打刃物も有名ですし、造園業者には楽しさ満載の県ですね(笑)
今日もいい休日になったなぁぁ~
明日からまた頑張ろ~う