白河のだるま市

イメージ 1

今日は兄(kiyo兵衛)も僕もデートはお休みでした(笑)

天気もお出かけ日和で久しぶりの家族でお出かけとなりました

白河市の「だるま市」に行ってきました

イメージ 2

白河駅前の様子です。人口6万人程度の町ですが、だるま市の日は人口が数倍にも膨れるくらい多くの買い物客が県内外から来ます!!!!!


イメージ 3

会場はこんな感じに大混雑状態でした(笑)

イメージ 4

縁起物ですからね~ 買い物客のみなさん真剣にダルマ選びしてました。

イメージ 5

いろいろと催し物がありましたよ~

イメージ 6

会場の混雑を逃れようと会場通りから路地に出たら古そうなお寺を見つけました

「関川寺」というお寺でした

イメージ 7

今まであったのわかりませんでしたね~

帰ってからちょっと調べてみました

関川寺の創建は不詳ですが古くは関銭院と称し関所の通行料を徴収する任を担っていたと伝えられています。
当初は天台宗だったとされますが、中世、白川城主で一帯を支配した結城宗廣が中興開山し寺号を「関川寺」に改称しました。天正9年(1581)に現在地に移り、近世時には寺町を形成し小峰城の南方の防衛ラインを呈していました。

赤穂四十七士の1人中村勘助という方の父は白河藩士だった話もあり、家族を討ち入り前に白河にいた親戚に預けたました。息子である忠三郎は連座して流罪となりましたが、後年赦免され白河で僧になったとされ境内には勘助の妻の墓が建立されています。寺宝である銅鐘は案内板によると「宝暦11年(1761)に鋳造されたもので、材質は青銅、法量は総高148センチ、口径84.5センチ、乳の間は5段5列が4面で100個、縦帯にも乳が2個づつで8個、合計108個が陽鋳されている。この鐘は、小峰城内の太鼓に対して町民に、時報を知らせた鐘とだそうです。


関川寺銅鐘は昭和39年(1964)に白河市指定文化財に指定されています。境内には戊辰戦争の戦死者の墓碑や棚倉藩士小池理八の供養塔、結城宗廣の墓(五輪塔:宗廣の遺髪が納められたと伝えられています。宗廣の本墓と伝えられるものは三重県伊勢市光明寺三重県津市結城神社にあります)、白川結城氏廟などだそうです。

イメージ 8

これがその銅鐘です!!!城下町に歴史あり!!とは当たり前ですが歴史の浪漫を肌で感じられるのは城下町の魅力ですね

話がそれましたが・・・肝心のだるまさんですが、ちゃんと買いましたよ~(笑)

イメージ 9

春から実家を離れますので(兄より一足先に結婚いたします)、新居にだるまさん飾ろうと・・・小さ目な物ですが買って参りました~

縁起物を買うって何かいいですよね~


今週もあと3日!!!風邪ひかないように頑張っていきます